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PC 幕末時代、1993年頃のありきたりな PC 環境 (2013/10)

書籍「FD+LHA=MS-DOS」の広告(1993年2月、アスキー)
書籍「FD+LHA=MS-DOS」の広告(1993年2月、アスキー)

今 (2013年) から20年ほど前の話です。
1993年、日本の PC 江戸時代はすでに幕末維新の時代に突入していた・・・。

1992年秋、黒船 コンパック(現在、HP) の PC/AT 互換機が日本に上陸し、 NEC PC-9801 幕府体制は動揺しつつあった。 ここから 3年ほどで PC は大きく変化した。 激動、激変という言葉が誇張ではないほど大きく変化した時代だった。

でも、当時のごく普通のユーザーのオーソドックスな環境はまだまだ PC-9801 と MS-DOS と DOS アプリケーションの時代であった・・・。

MS-DOS はマイクロソフトの OS の名前です。 Windows より前の時代 (1980年代後半-1990年代前半) に主流の OS でした。 FD はファイル管理ツールのアプリケーション名です。 LHA はファイル圧縮を行う圧縮方式およびアプリケーション名で、 今でいう zip の親戚です。 FD と LHA が当時の国内の代表的なフリーソフトでした。

ファイル管理ツール FD (プロンプト上で実行)
ファイル管理ツール FD (プロンプト上で実行)

MS-DOS は Windows ようなグラフィクスを多用した OS ではなくて、 Windows についているプロンプトのような OS でした。 この頃はまだインターネットも Web もない時代で、まだ ごく一部の研究者が眺めはじめたぐらいの時代です。 携帯電話もほとんど普及していません。 ネットといえば NTT の固定電話と 9600bps の アナログモデム で文字ベースの パソコン通信 をやっている水準です。

なんとなく、現在でいう「ガラ携からスマホの時代へ」や 「Windows PC からタブレットの時代へ」という話に似ている。 2000年代の ガラパゴス携帯 は日本の携帯江戸時代・・・。

突端の人々はこの頃、Mac に飛びついていた。 時代のキーワードは「 マルチメディア」。 このあたりは今でいう iPad のような感じ。

ショップブランドの PC や自作 PC (PC/AT互換機) もこの頃からにぎわいはじめた。 現在の Windows PC の直系のご先祖さまである PC/AT 互換機は、 PC-9801 とはシステムの仕組みが一部異なっていて 日本のソフトも動くものがほとんどなかったので、 当時は使う人もあまりいないマイナーな存在だった。でも、 PC の Windows 化と Windows ソフトの普及によって PC-9801 と PC/AT 互換機のソフト面での違いがなくなり、 PC/AT 互換機が日本でも急速に拡大しました。

Windows は、この頃すでに日本でも Windows 3.0 日本語版 が出ていたのだけど、 まともに動かすためには高性能で高価な PC (当時の PC は HDD 搭載機だと PC 本体の価格が 40-50万円ぐらいが普通だった) が必要で、 Windows 3.0用のソフトもあまりなかったため 当時の日本ではほとんど普及していなかった。 国内でワープロといえば 一太郎 (MS-DOS用のソフト)、表計算も Lotus1-2-3 (こちらも MS-DOS用) などが主力の時代でした。 日本語ワープロ専用機 もまだ大きなシェアをもち、企業でも多く使われていた時代だった。

1993年5月に Windows 3.1 日本語版 が登場した。このあたりから Windows 時代が本格的にはじまり、 1995年秋の Windows95 登場へとつながる。PC 幕末時代から PC 維新時代へ・・・。

資料いろいろ

一太郎 ver4.x の編集画面
一太郎 ver4.x の編集画面
1980年代のパソコンと日本語ワープロの出荷台数
1980年代のパソコンと日本語ワープロの出荷台数

1990年前後はパソコンよりも日本語ワープロが多く出ていた時代だった。 日本語ワープロは プリンタやディスプレイも内蔵したオールインワンの一体型で、 日本語処理に強く、小回りが利き、 パソコンに比べて安価だったので利用しやすかった。

当時のパソコンは扱い方が難しく、 プリンタなどハードウェアを一式をそろえるととても高価で手が出しにくかった。 Mac などグラフィクスに強い高性能のパソコンも アメリカ製のパソコンだったためソフトの日本対応が追いつかず、 日本語処理には弱いという欠点をもっていた。

日本のパソコン出荷台数(1990-2000年, JEITA)
日本のパソコン出荷台数(1990-2000年, JEITA)

1990年代前半は国内のパソコン出荷台数がまだ 200万台近辺でした。 1991年にはバブル崩壊などの影響もあり、 出荷台数がはじめて減少を記録しました。1992年も減少。 この頃は PC の国内の技術革新や市場などいろんな意味で一時停滞した時代だった。 1993年頃から怒涛の勢いで拡大しはじめました。

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